お侍様 小劇場

   “いない いない” (お侍 番外編 100)
 


       




国内だけに留まらず、海外でも結構な知名度を誇る、
俗に言うところの“一流商社”の、
具体的な機動力の精鋭たちとでも言うべきか。
知恵と人脈と実績の蓄積を駆使し、
取引や事業の手綱を執ったり、
馴染みの提携先との交渉口を務めたり。
ともすれば“弊社の顔”とまで呼ばれていそうなやり手の役員らを、
万全の態勢でフォローする部署が、
こちらの“特別職 専任秘書室”である。
主には“長”がつく存在、いわゆる“役づき幹部社員”の秘書として、
スケジュール管理から業務補佐までを担当し、
それへ付随する様々な事象への“都合”を融通するのが主な業務だが。
単なる“お膳立て”を整えるだけに留まらず、
例えば…提携相手の近日の行動を浚い上げておき、
誕生日がお近いようですよだの、
最愛の娘さんが乗馬大会で賞を取られたそうですよなどという、
さりげない情報を入手しておいたり。
籠絡のため急接近を仕掛けているライバル社があれば、
それを素早く察知した上で、
対抗処置の候補を幾つか…というところまで、
しっかと用意しておいたり。
役員自身の人柄や手腕も、勿論のこと、頼もしいその上へ、
そんな方々がいざという時に首っぴきにする、
備忘録となったりコンシェルジュとなったりし、
揺るぎない行動を破綻なく支える、
飛びっきりの辣腕振るう“相棒たち”が控えているのがこの部署で。
そして、

  そんな部署をやはり余裕で束ねるのが、
  島田勘兵衛という古参の壮年。

年齢相応に 程よく枯れて渋みの利いた風貌や、
彫の深い はっきりとした面差しには十分似合っているとはいえ。
癖のある深色の髪を長々と背中へ垂らすほどまで延ばしている上、
顎には手入れのいい髭をたくわえてもおり。
およそ、主人の陰へ付き従う立場の
秘書や腹心という“従者”にはあるまじき、
随分と目につきやすい風貌を、
もうどのくらいになるやらというほどのずっと、
それが目印であるかの如くに続けておいで。
風貌と言えばの個性が立っているところは、
そんなお顔にだけと留まらず。
肉惑という生々しい主張こそないが、
英国仕立てのスーツを隙なく着こなす余裕の礎か、
着痩せして見えてのこと、初見で気づく人は少ないながら、
これで大層かっちりと頼もしい、
屈強に練り上げられたる筋骨の持ち主でもあって。
一対一で向かい合うこととなったらば、
思っていたより長身で、肩幅もあっての胸元も雄々しく、
その年齢には過ぎるほどのしっかとした体躯でおいでなことへ、
遅ればせながら気づかされ、ハッとさせられる。
だというのに威圧感は自在に調整の利くお人で、
その余裕に飲まれるか、
はたまた骨抜きにされてのうっとり陶然としてしまうか。
骨格のはっきりした、持ち重りのしそうな手の温かさに触れたなら、
こんなにも頼りになる人はいなかろと、
それだけで誰でも信用させてしまいもするという、
どこまで真実かそんな噂さえあるのだとか。

  そんな、島田室長が

自宅かお外か、判然としないながら、
家人からの電話が掛かって来たからと。
私的な会話となるがため、執務室へ入って行かれてどれほどか。
特に急ぎの案件があるでなし、
整然とそれぞれの担当の執務をこなしていた皆だったところへと、

  ばたん、と

日頃の、何につけても折り目正しくスマートな行動が常の、
沈着冷静な島田室長にはあるまじき物音立てて。
同じ扉が再び開き、

 「…っ。」

何だなんだと、それこそあり得ない取り合わせなればこそ、
ギョッとして注視して来た課員たちだったのへ、

 「済まんな、ちょっと出掛けてくる。」

先程と同じいで立ちなのへ、よほどにお急ぎか、
とはいえさしたる遠出ではないということか。
大ぶりの手へコートを掴んだままという、
慌ただしさだけをまとって、出入り口へと向かわれる。

 「…あ、室長?」

何が何やらと、
事情の説明がないことへ呆気に取られていた部下たちだったが、
我に返った彼自身の補佐役の女性が声をかけたところが、

 「家まで戻る訳ではないさ。所用があったらいつでも連絡を。」

お急ぎではあるようなれど、
涼やかな笑みに目許をたわめ、
ちょっとだけ、そう…例えば、
忘れ物を持って来てくれた義理の息子が、
近くまで来ているらしいのでというよな、
ささやかな所用で、
ちょいと出てくるという程度のことにしか見えなんだので。

 「判りました。」

その態度の飄然としたところが、不知ゆえの掴みどころのない不安を、
あっと言う間に氷解させる安定感の素晴らしさよ。
颯爽と出てゆく姿の雄々しさに、
セクレタリーフロントの受付嬢らも、うっとりと頬を染めたほど。


  ――冬の野へと放たれた獅子、
    だがだが、表情や威容を取り繕えたのは、
    タヌキ属性が大いに働いた結果かも知れぬ。




       ◇◇◇



一般向けの企画なら、
クリスマスなんてな判りやすいイベントこそ、
キャンペーン日程の目玉にもなるもの。
よって、そういった系統事業の関係者であれば、
今週一杯は、
現場は元より社からも離れられない身となるものだけれど。
大きな企業のトップや、それに間近い階層の存在ともなりゃあ。
現場であくせく働くのは、感覚も消費者に間近い部下に任せ切り、
自身は早めにプライベートの時間を取ってたりするもので。
よって、唐突に“○×社の専務の好みは何だったか?”とか、
そんな人物の“週末の予定が判らないか?”とかいう、
単発の問い合わせが飛び込むことはあっても。
大々的な交渉の場も兼ねるほどの、
大きなパーティーやレセプションは案外と少ないがため、
それへの資料やフォローをとの、幹部社員からのお声は掛からない。
それこそ、トップ中のトップが主催する大本命の宴への招待に備え、
ゆったり構えているのがセオリーなものだから。
そちらへ向けての情報収集の準備も既に万端整っており、
この時期は さほどバタつく要因もない…という案配だったからこその、
ちょいと出て来るという、
あくまでも気軽な行動、態度を装えた勘兵衛でもあったのだが。

 『シチが姿を消した。』

いかにも彼らしい、言葉短かな言いようで急を知らせて来た久蔵は、
自分と同じく島田一族の人間であり。
まだ十代という若さのせいでか、
時に世間知らずな言動が出なくもないものの、
性の悪い冗談や悪ふざけを、
仕事中の家人へ言って来るよな馬鹿はしない。
しかも、シチ…七郎次にまつわることならば、
自身のこと以上に真剣にあたるはず。

 “だからこそ、人へ頼る奴ではないはずだが…。”

それも勘兵衛へというのは、
よほどに手の打ちようがなくて選ぶ“最終選択肢”でもあるはずだ。
最愛の身内として、母親のように慕う七郎次を、
唯一 自分より優位な立場で独占出来る男だからで。
木曽の支家の次代当主でありながら、
勘兵衛が一族の宗主であることなぞ、意に介さずにいられる、
ちょっぴり規格外な感覚の持ち主でもある彼が。
七郎次の側からの恭順示す対象ということで、
粗略に扱ってはならぬ対象なのだとしぶしぶ覚えたくらい。

 「……勘兵衛様。」

オフィス街の昼下がり。
クリスマスのにぎわいには直接無縁でも、
決算期の最中とあって、人出は少なくない雑踏の中。
周囲の他の方々と同じように、スーツやコートの裾をひるがえし、
用件目指してという様子で足早に歩んでいたのへと、
横合いから声をかけた存在が。
ちらと視線を流したそのまま、うむと頷いた勘兵衛、

 「すまぬな、ひのえ。」

地味なバンタイプの車体には、
メンテナンス会社の社名と電話番号がペイントされており、
内から開いたスライドドアへ無造作に乗り込んでゆく壮年を、
だが、周囲も特には注視しない。
恐らくは自身の取引先へと注意が向いているからで、
こちらもそれを解した上での、自然な所作にて振る舞ったまでのこと。
運転席にいた男性は、作業服と揃いなのだろ帽子をかぶったまま、
それでも勘兵衛へ深々とした目礼を見せると、
いったん停めた車を手際よく発進させる。
そのまま何と言って語り出そうとする彼ではなく、
そんな彼の代わりのように、勘兵衛の側が口を開いた。

 「…で。
  一体何がどうなって、七郎次が姿を消したというのだ、久蔵。」

メンテナンス関係の用具なぞ一切乗せてはない後部座席の先客。
襟の詰まったシャツとアーガイル柄のカーディガンに、
スリムなシルエットのパンツを合わせ。
内側が起毛になったバックスキンのジャケットを羽織った、
金髪頭で色白な高校生男子が一人。
日頃以上の無表情のまま、そこに座っていたのであり。

 「………。」
 「儂は、七郎次や高階ほどに、お主の機微を拾えぬのだ。
  何とか話してくれまいか。」

こうして迎えに来たことといい、視線がせわしく揺らめくところといい、
何かしら言いたいことはあるのだろうに。
口下手な彼には、なかなか上手に順序立てて言えないことらしく。
それでも……

 「帰ったら、誰もいなくて。
  高階と ひのえが、申し訳なさそうに庭に立ってた。」

ぽつぽつと語り始めたその中に名のあった男が、
運転席でかすかに、その肩をすぼめたような気がした。






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